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4. At the Park & Mom's Friends <公園やお友達とのおつきあい>   

当時私たちが住んでいた地区には、市の大きな公園があった。早起きの私は、朝の仕事を早々に終えると、9時過ぎにはその公園まで ベビーカーの中の息子に話しかけながら、よく散歩に出かけた。そのうちに息子ははよちよち歩きを始めた。そして、やがて三輪車に乗れるようになった。公園の隅々まで自分の 庭のように知っている息子は、ジムやブランコなどの遊具をすいすいと泳ぐようにあちらこちらへとよく動き回った。おしゃべりもできるように なり、道行く人や公園を訪れている人たちと元気良く話をするような子どもだった。日本人同士の子供でないことがすぐわかるような 外見も加勢して、本当にいろいろな人から声をかけられた。あの子が遊んでいると周りをたくさんの人に囲まれて、いろいろ尋ねられることも多かった。

周りのそうした反応に、私のほうが必要以上に敏感に反応していたのだと思う。どこへ行ってもとにかく目立つ。私が全く知らないところで いろんな人が私たちのことを知っていた。今振り返ってみると笑い話だけれど、どこへ行っても人に囲まれ、みんなに生活を覗き見されているような気分になって いたのかもしれない。外では精一杯周りの人に気を使ってしまっていた私の背中は次第に曲がり、顔は下を向き、とにかく目立たないようにと人ごみを避けるようにして生活していた一時期もあったほどだ。

公園には、同じ年頃の子供を持つお母さんたちがちらほらとやって来る。時間と曜日によっては、グループで集まって来る親子連れもいた。 毎日顔を合わせるうちに、親しく話ができるようになった人たち。そんな人たちの前で、私には英語で息子と会話をすることが苦痛だった。 やっと知り合いになったお母さんたちの目の前で、息子とだけ英語で会話をすれば『私たちは貴方たちとはちょっと違うんだよ』 という態度だと誤解されやしないか。自慢しているのだと勘違いされやしないか。そんなふうに周りの目を恐れていたのだ。

幼稚園に上がる前の子供を抱えたお母さんたちが日中過ごす場所は、公園かお友達のお宅が多いだろう。自宅の中にひきこもってばかりでは 間が持たない。私もそうだった。よく近所の同い年の子供を持つお母さんたちと集まり、子供たちを遊ばせながらおしゃべりをしたものだ。そんなところでも 私は遠慮して英語が使えずにいた。でも…よく考えると、そこで過ごす時間は、午前中子供が元気いっぱいの時間。目も冴えて、活発に活動する時間だ。 午後はお昼寝をして、目が覚めたら夕飯やお風呂となり、また就寝。そんなサイクルの中で、親子で密に過ごせる午前中の大部分をお友達や公園仲間と 過ごし、更に心理的なプレッシャーを抱えていた私が、結果的に英語よりも日本語で息子に話かけていた時間のほうが圧倒的に多かったことは否めない。これは良く無いなとわかって いながらも『しょうがないじゃん』と思おうとしていた私だった。しかしそんな私に待ったをかけたのは、またしても夫だった。

何を気にして、誰に遠慮をしているのか?と言う夫。何度この話題で私たち夫婦は、言い合って来たことだろう。

待ったをかけた夫はさらに続けた。『他人はうちの子を育ててはくれないし、彼の将来に責任を取っても くれないでしょ?そんな他人のことを気にして、英語を使わないでいるのは、ものすごくもったいないよ。』時々夫は、ほほぉ~っ!と妙に紊得の 行く説明をしてくれることがある。まさにこのときの言葉が、それだった!『大切にしたいと思う友達であれば、自分たちの気持ちを説明してみたらいいよ。 英語を日常的に使うことが僕たち親子にとってどれだけ意味のあることなのか、必ず分かってくれると思うよ。』

この時夫と話をしながら、ココロの中の重石が崩れていくような感覚を覚えたことは、今でも鮮明に記憶に残っている。紊得いけば話が早い私。翌日、いつも 長男が遊んでもらっていた男の子のお母さんに恐る恐る話を切り出してみた。英語と日本語のどちらも息子にどうしても伝えたいと願う私たちの思い、そしてそのためには できるだけ多くの時間英語に触れさせたいということ、そのためには、遊びの最中も息子と私が英語を話すこともあると思うということ。確かそんなことを話したと思う。 私の心配をよそに、彼女は、ためらわずにこう言ってくれた。『素晴らしいことだわ~。○ちゃんと貴方が英語を話すことについて私に気兼ねは全然要らないよ。 近くで英語を耳にする機会をもらえてこっちこそうれしいわぁ。パパの気持ちは痛いほどよくわかるし、親としてその考え方は立派だと思うよ。』と。

彼女とのこの会話がきっかけで、私は他人の目を気にすることを徐々に止めることができたのだと思う。それ以降、『私たちが英語で息子と会話をすることについて他人がどう感じようが、 関係のないこと。全ては息子のことを思えばこそなのだから。』自然とそう考えられるようになってきた。

これはバイリンガル教育をするにあたっての大きなポイントのひとつだ。なぜならば、このことで悩んでいたのは私だけではなかったことを、私は後から知るに至ったからだ。 同じ県内で、同じように片親が母国語に英語を持つ家族のうち、子供たちが英語を日本語同等のレベルで使いこなせるようになっている家族に、私はいまだにほとんど出会ったことがない。 子供たちに英語を十分に使わなかった理由としてみんな口を揃えて、『社会的な人間関係』を理由にあげている。しかし息子と英語で話すことで、私たちの社会的な人間関係に亀裂が 入ったことは先ず無かったと思う。これまで関わってきたお友達も先生もそして親御さんたちも、とても好意的だったし、応援もしてくれた。このことを通じて、私は遅ればせながら、 今の自分にできる大事な仕事を見極めたらそれをとことん大事にする姿勢、言い換えれば、信念を貫き通す強さを学んだような気がする。他人の子供ではない、自分自身の 子供のために大事だと思うことを続けていることに対して、目くじらを立てる人なんてきっとどこにもいないのだ。

Point : 人の目よりも子供の将来を考え、初志貫徹する勇気が大事♪

次は… 5. Around the Neighbourhood <ご近所とのおつきあい>
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