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7. With Family in America ...Part 1... <アメリカの家族と>   

結婚した年の夏、ひと月の休みをもらって、夫の実家へ遊びに出かけた。その時以来、再度渡米するまでになんと7年の月日が経っていた。再び実家を訪れたのは、長男は 6歳、次男が3歳にそれぞれなろうとしている年の春のことだった。その年まで出かけなかった大きな理由は、経済的な理由ももちろんあったが、記憶に残らない時期に 出かけて行っても、あんまり意味がないかなぁと漠然と思っていたこと、そして男の子二人の子育てで他に何も考える余裕がなかったこと、夫の仕事が長期の休みを とりにくいこと、などがあった。しかし、6歳になろうとしている長男を見ていて、そろそろあちらの空気を吸いに行こうかという話が出ると、とんとん拍子に 話が進んで行った。結局、仕事で忙しかった父を実家に残し、私の母と妹、そして夫の生徒さん(母と同じくらいの年齢)の3人を同伴で渡米することになった。

何かの折にふれ、ビデオやおもちゃなどを送ってくれていた義父母だったが、この時のふれあいを期に、一気に私たちの距離が狭まったように感じる。やはり 遠くにいても、孫は孫なのだ。やんちゃながらも義父母にはすっかりなついてしまった二人の孫にまた会いたいと、帰国後もメールや電話がしょっちゅう流れてくるようになった。 私も、おぼつかないながらも、少しずつ英語の会話がなめらかにできるようになり、電話で話すことも多くなって行った。結局、このつながりが、後々の私たちの 取り組みに大きな力を貸してくれることになった。

夫の兄弟は、みな実家から車で30分以内の場所に住まいを持っている。おかげで、子供たちもいとこや叔父、叔母たちとの交流を持つこともできた。 うちの子供たちと同じ年頃のいとこたちは、女の子たちだったけれど、すぐに仲良くなり、笑い声をあげて走り回った。 一旦顔見知りになると、そこは親族である。親しみも湧き、また会いたいという話にもなる。子供たちはいとこの話を帰国後もよくするようになった。『今度はいつ行こうか? 行くためには、英語もっと頑張らなきゃね♪』それが、英語を使う励みにもなっていったのだ。いずれは、 子供たちをアメリカの学校にも通わせてやりたいと、何の計画もないながら、私たちは漠然と考えるようになっていた。 言葉の学習には、その国の文化を肌で直に理解することがどれだけ大切なことなのかが、 段々とわかりかけてきたからだった。

その頃我が家にあったワープロにはパソコン通信の機能がついていた。富士通のオアシスというワープロだった。そのパソコン通信の機能を使って、当時はまだ日本では インターネットと言っても一般の人たちは聞いたこともない時代に、Telnetというシステムを使って、実家の義父母とe-mailを交わしていた。Windows95の発売もまだない頃のこと。コマンドと 呼ばれるアルファベットや記号を打ちながら、白黒の画面に向って、必死にメールを書いていた。パソコン通信では、Niftyに入会し、いろんなフォーラムを知り、世の中には 進んだ人たちがこんなにたくさんいるのかと驚きを隠せなかったのを覚えている。それから、数年経ち、ようやく日本でもインターネットという文字があちこちで見られる ようになり、やがてWindows95が発売され、日本のパソコンブームが始まった。我が家もやっとの思いで、初めてのパソコンを購入した。富士通のFMV、デスクトップだった。 子育てに追われながらも、何かのつながりを求めていたのか、夜な夜なパソコンに向かい、国際結婚をしている人たちのサイトへ伺うのが、日課になって行った。

そして、そこでの会話がきっかけで、この日本にも私と同じように言葉の教育で悩みながら子育てを続けている人たちがたくさんいるということを知った。知り合った人たち は、様々な国の出身のパートナーを持ち、真剣に子供の将来を考えている人ばかりだった。日本人の方々なのだが、その輪は世界中に広がっていた。すると上思議にも自分たちの 悩みがそれほど大きな悩みには思えなくなってきたのだ。出会った方たちの存在はとても心強かった。急に目の前にある世界が広がっていくような気がしてきた。『ひとりじゃない』 それは、私にとって大きな力になった。

夫にもネットで出会った人たちの話をしながら、これからどんなふうに我が家のバイリンガル教育を続けていこうかと毎日のように話をしていた。そんな折、 あるとき何の拍子か、こんな考えが思い浮かんだ。『夫が仕事を休むことはできなくても、私は専業主婦。子供と一緒に何でもできるのだ。それならば私が子供たちを連れて 渡米し、現地校に数ヶ月通わせることはできないだろうか』と。初めはちょっと無謀な考えにも思えたが、夜中に考えが浮かび、考えても考えても、それが素晴らしい 思いつきに思えて仕方が無かった私は、夫をつかまえて一気にその思いをぶつけてみた。

それまで二人とも渡米と言えば、当然家族一緒で動くことしか考えていなかった。子供のことを第一に考えれば、別々に生活する数ヶ月など問題ではないと私は考えた。 ただ、夫が上便であろうことは目に見えていたが、その話を聞いた夫は、目を輝かせて大賛成をしてくれた。夫はすぐに実家に電話をかけた。『数ヶ月4人をそっちに置いてくれない だろうか』と。

義父母とも言語の専門家でも何でもない人たちだが、夫の話を聞いて、二人とも喜んでくれた。両方の国の言葉と文化を子供たちに与えたいという私たちの思いは通じた。この義父母の 協力と温かい気持ちがなかったら、我が家のバイリンガル教育は今のように発展していかなかったに違いない。感謝の一言に尽きる。

結局、それからすぐにこちらの学校とあちらの現地校にそれぞれ連絡を入れて、私たちが考えていることが可能かどうか尋ねてみることにした。答えはOK!どちらの学校からも 問題なしの答えが返ってきたのだ。そして、一番良い時期を選び、アメリカの学校の9月の始業に合わせて渡米し、3ヶ月滞在することが決定した。1998年9月。長男が小学2年、 次男が幼稚園年中、そして三男が生後11ヶ月の時のことだった。

次は… 8. With Family in America...Part2... <アメリカの学校で>
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